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ベネズエラと、人々が“糞を喰らうよう強いられる時代”

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Andre Vltchek
CounterPunch
2016年7月8日

コロンビア人作家ガブリエル・ガルシア・マルケスによる強烈な短編小説“大佐に手紙は来ない”(El coronel no tiene quien le escriba)は“暴力の時代”を舞台に、老いた退役大佐が、15年ほど前に、相当な年金を約束してくれた政府から忘れさられ、生きるために苦闘する話だ。国は腐敗し、残虐で過酷な“1000日間戦争”時代に国のために戦った人々のほぼ全員を見捨ててしまった。

だから、誰も大佐には手紙を書かない。手紙も年金の入った封筒も来ない。老人と妻は二人だけで暮らしている。息子は数年前に亡くなった。貯金も、もうない。希望は皆無に見える。

大佐は軍鶏を一羽飼っている。強い軍鶏だ。彼はそれを訓練している。軍鶏は彼の生存の唯一の可能性で、彼には軍鶏以外には無一物で、誇りでもある。物語の最後で、軍鶏を売ってくれないかと声をかけられる。彼は話を断る。武士は喰わねど、高楊枝だ!

妻が彼に近寄り軍鶏を売ったかどうか尋ねる。彼は売らなかったと答える。

彼女は怯えて尋ねる。“でも、私たちは何を食べるの?”

彼は妻にゆっくり、率直に答える。“糞でも喰うさ!”

***

欧米マスコミは、今や飢えをいやすため、腐った果物やゴミまで集めているベネズエラ国民に関する記事で溢れている。

こうした記事の多くは、ひどく誇張されているが、何百万人ものベネズエラ人が苦しんでいるのは事実だ。

またしてもベネズエラは、自国エリート連中に裏切られたのだ。1973年のクーデター前のチリのように、つい最近のブラジルのように。中南米のエリートは、決して自国民ではなく、欧米のハンドラー連中にのみ忠実だ。

資本は逃避し、人為的に作り出された多くの基本的商品、薬品や食料品の品不足がある。アメリカ合州国やヨーロッパが支援する‘反政府派’の狙いは単純明快だ。革命過程の息の根を止め、チャベスの遺産への信頼を損ない、新自由主義の教義を再度導入して、権力を再度奪取するのだ。

だが大多数のベネズエラ国民は‘反政府派’を支持してはいない。もちろん、全員がマドゥロ大統領の政策に同意しているわけではないが、過去の資本主義への回帰を国民が望んでいるわけではない。

そして、それこそが、ベネズエラ国民が糞を喰うよう強いられている理由だ。

***

第二次世界大戦での900日間のレニングラード封鎖中、母方の家族が一体何を食べていたのか私は知らない。

他の縁者のほとんどが亡くなる中を、祖母と母は生き延びた。

レニングラードはドイツの軍隊に包囲された。都市は昼も夜も激しく砲撃された。ラドガ湖を薄い氷が覆う冬の間だけ、食料補給路が開けていた。

都市では大量飢餓が起きた。ところが、あらゆる苦難にもめげず、レニングラードは頑固に降伏を拒否したのだ。

ドイツ人と戦い、塹壕を掘るため、祖母は毎日前線にでかけた。ナチスは不愉快な揶揄に満ちた何百万枚ものビラを播いた。“親愛なる乙女のみなさん、小さな穴を掘るのはやめなさい。あなたがたの穴の上を、間もなく我が軍の戦車が越えてゆく。”

戦車は通過しなかった! 祖母を含め‘乙女たちは’、優雅な風情で、オベラやバレーを鑑賞し、詩を読むロマンチックな人々だったが、芯は、実際きわめて強靱な断固としたロシア女性だった。最後の勝利まで、彼女たちは降伏しようとはせず - 結局、彼女たちは愛する都市、母国と人類を守ったのだ。

レニングラード住民のほぼ半数が殺されたか餓死した。人々は街路の真ん中で倒れた。しかし、レニングラードはしっかりと抵抗し、誇り高く、立ち続けた。無数の劇場や博物館がある都市、地球上で最も美しい町の一つ、洗練された大都市が、突如強くなって、ナチス集団が街路や堤防に侵入するのを防いだのだ。

“人は死体を食べるように強いられたの、おばあちゃん?”彼女の存命中に一度質問したことがある。

“そうよ。”と彼女は答えた。“お前の母さんと私は決して食べなかったけれど、食べた人もいた… そう。ほかに仕方なかったの。私たちは運良く見つけることができた時には、ベニヤや、にかわを食べた。そうでない時は、何も食べなかった…”

前線での並はずれた勇気に対し、祖母は二度勲章を受けた。彼女は‘乙女’としてではなく、ソ連兵(彼女は軍隊の訓練など全く受けたことはなかったが)として勲章を受けた。

とうとう封鎖、包囲は解かれた。その数週前、祖母と幼い母は、ラドガ湖を渡って脱出していた。栄養失調に苦しむ子どもの膨れた巨大なお腹をした母親は、まるで骸骨のようだった。母親は、薬品と食料品に満ちていた救護所に連れて行かれた際、まるで取りつかれたかのように動き始め、手に触れるあらゆるものを掴んで口に押し込もうとしたと私は聞かされた。三人の大人が彼女を抑え、連れ去らなければならなかった。食事の摂取は、徐々に増やすことが必要で、さもなければ、母親は死んでいたはずなのだ。

祖母は一度私に言ったことがある。“どんなことをしたって恥じゃない! 裏切るよりずっとましさ… でも、人々にどんなことでもするように強いるなんて大変な罪だよ!”

この戦争の間、ほぼ同じ時期、私の親のチェコ方の家族は、ソーセージやテンダーロインや、他の食料品が自由に手に入った。チェコ人はナチスに協力しており、その努力に対して、手厚く報われていたのだ。

幼い頃から、私は一体何に忠誠を誓うのかは実にはっきりしていた!

レニングラードとロシアは、常に私の愛の対象で、私そのものであり、私の母国なのだ。いつも遠く、遥か彼方、地平線の先に隠れていることが多いが、それでも母国だ! ロシアと同様、母方の祖母は、おそらく私の人生中で最も重要な女性だ。

私が後に何者になったにせよ、今の私が何者であるにせよ、それは私が生れる十年前に起きたレニングラード封鎖の際、悪に対する断固とした戦いの日々に形成されたのだ。

***

先週私は、ロシア極東のカムチャッカ、ウラジオストックとハバロフスクで仕事をしていた。私はそこから東京に飛び、予定より長居した。私は、ロシアのこの地域が過去十年間になしとげた大変な進展を記録しようとしていた。

2015年、ブラジルに長期間滞在した時と同様、私は知識人や‘エリート’連中とは会うのを避けていた。船員、漁師や、トラックの運転手など、ごく普通の人々と、ロシアと世界について話して過ごした。

ベネズエラは苦しんでいる。私は毎日ニュースを読み、中南米での進展を検索した。

欧米マスコミによる大半冷笑的な報道に私はずっと戸惑っている。

連中は祝っているのだ! 連中は政府を倒すべく、あからさまに侵略を呼びかけているのだ。連中は、カラカスでの‘徹底的な混乱状況’で有頂天になっているのだ。

何とも悲しい記事だった。実際、不快きわまりない。こうした書記官連中は、高邁な原則や義務や犠牲は全く理解できていないのだ。連中はたんまり給料をもらって、一体どういうものを書くように期待されているかを直感的に知っているのだ。連中の‘文化’は実に低劣だ。

もし自分の理想や、愛する国を守るために、そうするのであれば、キャビアではなく、糞食べる方が遥かに名誉なことが、連中には全くわかっていない。

それは、こうした欧米主流マスコミ連中には一片の理想もなく、“愛”や誇りなど全く理解できないためだ。

だが私が話をしたロシア人労働者たちは、ガルシア・マルケスの小説の大佐が理解したであろうように、そして私の祖母なら、まず確実に理解したであろうように、10,000キロ以上離れた、ベネズエラで一体何が起きているかを完璧に理解していた。

ことは実は極めて単純だ。そうした決断がどれほどきつかろうと、自分の主義に忠実であり続けることだ。さもなくば、人生はおしまいで、全く無意味になる。人間としての人生、あるいは社会での人生丸ごとが。

帝国主義、植民地主義者心性や、野蛮な消費中心主義の中心地、欧米では、ヒューマニズムのあらゆる基本的な理想は、全く無意味なのだ。世界中で、ニヒリズム流布におおわらわの公式宣伝屋連中にとって、倫理的原則など、お笑い種だ。それが、人々が混乱していて、人生が実に空虚である理由だ。帝国そのものも、恥知らずにも自国民を裏切り、地表と地下にある、ありとあらゆるものを売り渡し、儲けようとしている‘属’国諸国も、空虚なのだ。

これこそが、この暗い年月に、ガブリエル・ガルシア・マルケスや、マキシム・ゴーリキーのような人々が書いた偉大な書籍を再訪することが極めて重要な理由だ。

糞を喰いたい人間などいない。ベネズエラ国民に糞を喰わせたいなどと願っている人などいない!

しかし、裏切りに対する報酬としてのテンダーロインか、‘普通の’社会において、反逆罪のエリート連中や、間接的外国侵略との戦いのさなか、生きるための腐った野菜か、という選択となった場合、選択肢は明らかだ!

そして、最終的勝利が実現できた暁には、自国の誇り高い愛国者に糞を喰うことを強いた連中に対する寛大な処置も許しも、決してあってはならない。

アンドレ・ヴルチェクは、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の新著は“帝国のウソを暴く”と“欧米帝国主義との戦い”。ノーム・チョムスキーとの討論は『チョムスキー、西側諸国のテロリズムについて語る ヒロシマからなし崩しの戦争まで』。彼の政治革命小説『Point of No Return』は高い評価を得た。『オセアニア』は、南太平洋の欧米帝国主義に関する著書。スハルト後のインドネシアに関する彼の挑発的な本の書名は『インドネシア: 恐怖群島列島』。アンドレは、テレスールや、プレスTV向けに映画を制作している。。長年、中南米とオセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在東アジアとアフリカに住み、働いている。彼のウェブか、ツィッターで彼と連絡できる。

記事原文のurl:http://www.counterpunch.org/2016/07/08/venezuela-and-when-people-are-forced-to-eat-shit/

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人ごとではない。同じ運命、この属国民にもやってくる。「あの参議院選挙が分水嶺だったなと」その時に気がついても手遅れ。そういうものだ。

今回の参議院選挙で明らかになったことが一つある。前から明らかだったが。

いわゆる「マスコミ」新聞・テレビの類は、完璧な大本営広報部・大政翼賛会という事実。

これからの反ファシズム、反戦、反原発、反新自由主義、反TPP、何であれ売国傀儡打倒を狙う運動にとって「マスコミ」は敵だという事実から始めなければならないということだ。

「マスコミ」は大本営広報部・大政翼賛会だといい続けて久しいが、メタボ老人のタワゴト、妄想であって欲しい、というのが本意だった。

もう否定しようのない事実。見事に悲惨な参院選の結果をもたらしている。敵はさるもの。

沖縄のように、民意と本当のジャーナリズムが生きて、同期している社会でのみ、まっとうな結果がでる。

品川正治氏が『激突の時代 「人間の眼」vs.「国家の眼」』や、『遺言』で指摘しておられる通り、沖縄と本土におけるマスコミの質の根本的違いが原因だろう、と思いたい。

品川氏は、もちろんTPPにも大反対。
『激突の時代』の連続講座・第4回 第11章 日本のマスコミ から、ごく一部を引用させていただこう。225ページから、226ページ。

国民に怒りを持たせない

  マスコミの現在の姿勢を言で言ってしまえば、とにかく国民に怒りを持たせない、あるいは怒りの的を外してゆこうというものです。そういう役割をご本人たちが意識しておられるかどうかは別として、私はその点を非常に問題視しています。
   私は沖縄で発行されている「琉球新報」と「沖縄タイムス」の二紙をとっていますが、この二紙は、国民の不満を「怒りにまではしない」という報道姿勢は持っていません。そこが日本のマスコミ全体と大きく違うところです。
  もちろん沖縄の問題では、事実関係を報じるものとしては、大手全国紙でもしばしば一面をにぎわせています。非常に大きな紙面形成になってもいます。けれども、沖縄の二紙と本土のマスコミとでは、どこが違うかというと、「怒りを起こさせない」という本土と、「そうではない。本当の事実を知らせないといかん」という沖縄─この違いが大きいでしょう。
  沖縄の新聞を読み始めた頃、本土とどこか違うと感じたのですが、そのことはすぐに分かりました。それ以来、この点を非常に強く意識しています。

占領支配と日本マスコミ

 それではなぜ、日本のマスコミは全体として「怒りを起こさせない」となってしまったのか。その本を正せば、第二次大戦での日本の敗戦と、その後の米軍を中心とする連合国の占領支配に遡ります。

以下略

54-55ページにでは、大略下記のような発言をしておられる。

政府の理不尽な行動に反対の声をあげる官邸前の原発再稼働反対や、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会があっても、マスコミは触れたがらない。取り上げるにしても、むしろニュースとして、なにか珍奇なものを見るような形でしか報道しない。

そして、56ページで、こう言われている。

   いまの日本の政治の現状を見ると、政治的にはもうある意味で限界に来ているけれども、多くの人は、どの政党に託していいかと思い悩んでいる。そして、選挙を冷めた目でしか見られなくなっています。政党を選択しようと思っても、これからの日本の進むべき方向が自分の考えている方向にはなりっこないと感じ、しかも、どっちもどっちで、「コレラを選ぶかチフスを選ぶか」という程度のものだと捉える人が多くなっています。
   しかし、もう一度言いますが、政治は政局だけ問題ではありません。選挙は大事です。しかし、それだけではない。先ほど述べた様々な運動を含め、それぞれが複合して方向を創り出すのです。

朝から、大本営広報部・大政翼賛会、見ていない。「反吐がでる」思いがつのるばかり。
正直な話、4時半から、相撲だけは見た。

恥ずかしながら、ガブリエル・ガルシア・マルケスや、マキシム・ゴーリキーのような人々が書いた偉大な書籍、全く再訪していない。時間も、お金もない。

書店でみかけた『紅葉する老年 旅人木喰から家出人トルストイまで』つい購入した。理由は単純。ふと開いた、132ページに、田中正造に関する記事があったため。
蛇足ながら、ロシア人作家でも、ドストエフスキー、全く読むことができない。高校生時代『罪と罰』を苦労してよんだ。
最近ロシア正教のお坊様の講演で「ドストエフスキーの宗教観は実に先進的でした。トルストイは無条件に破門にあたいします。」というのを伺って納得。チェーホフも、ドストエフスキーでなく、トルストイに親近感を持っていた。チェーホフなら読める小生、所詮宗教に縁なき衆生。

田中正造を言うなら、『誰がこの国を動かしているのか』木村朗、白井聡、鳩山友紀夫著の50ページ。白井氏の、天皇皇后両陛下の最近のメッセージが意味するもの。に納得。『戦後の「墓銘碑」』でも触れておられる。この点に触れている人物、白井氏以外になさそうなが実に不思議。大本営報道を、かいつまんだだけで、心底驚いた小生、彼の記事を読んで、ようやく、同意見をみて安心したのだったが。


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